北野恒富
金沢市に生まれ。木版画の彫刻、下絵を修業した後、大阪の稲野年恒に入門。
第4回文展に初入選するが、日本美術院が再興されると、第1回展から出品して、同人となる。
濃厚な情感と克明な描写による頽廃的な美人画で人気となり、次第に清澄で優美な美人画へと転換した。大阪美術協会の結成に参加。
画塾白耀社を主宰して後進を指導。大阪画壇の重鎮として活躍した。
『いとさんこいさん 』
暑い夏の夕べ、庭先に置かれた床几で語り合う姉妹。両手を膝内に合わせて腰掛け、恥じらいながら話す姉と寝そべって頬杖をつきながら聞き入る妹。
「天下の台所」と呼ばれた大阪の商家の姉妹の年齢や性格の違いを見事に描きわけている。
いとさん、こいさん
いとさん、こいさんとは、大阪市の船場の商人の間で使われていた「舟場言葉」です。
「お嬢さん=いとさん」であり、その妹さんという意味で、小さいいとさん=小いとさん「こいさん」というわけです。
また、三人姉妹や四人姉妹の場合は、「なかいとさん」や「こいこいさん」などが使われていたそうです。
商売人の旦那さんは、今でいう「社長」さんで、名前までは知らなくてもそのお子様、お嬢様方に失礼のないようにという気遣いがみてとれます。
谷崎潤一郎と細雪
「いとさんこいさん」と聞くと細雪を思い浮かべる方も多いかと思いますが、北野恒富と谷崎潤一郎は交流があったそうです。
(谷崎の小説の挿絵なども担当)作品の発表は1936年、谷崎の小説は1944年頃(戦争の影響で出版はのちになる)といわれており、
小説の舞台は1926年〜の4年間となっております。
どちらも戦争に突入していく少し前の、明るく豊でモダンな時代の空気が伝わってきます。
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和菓子のコンセプト
「作品右手には黒い着物とおしとやかな女性、左手には白い着物の寝そべった女性。
色違いで同じ柄の着物を着た姉妹の会話の様子ですが、姿勢や表情や所作など2人の性格の違いが書き分けられている作品です。
お菓子では、黒と白に染め分けたきんとんで「色違いで同じ作りの着物」を、赤い羊羹で、
足を揃えおしとやかに座る様と下駄を投げ出している様の対比を表しています。
また作品の時代背景としてレモネードなどが流行したそう(レモネードが訛ってラムネになったそうです)で、
中にはレモンピールの甘露煮を忍ばせた爽やかな白餡を、練り切りで覆っております。
冷たいままお召し上がりください。
展示と販売
京都市京セラ美術館ENFUSE様、京都市京セラ美術館様にご協力いただきました。
展示期間中、ENFUSE様にてご提供させていただきました。