小名木陽一
昭和後期-平成時代の織物造形作家。
昭和6年12月29日生まれ。
34年竜村美術織物に入社,39年退社して独学で織物による立体造形(ファイバーアート)の創作をはじめる。
以来,国内外の美術展で活躍。
京都芸術短大教授。
東京出身。同志社大卒,京都学芸大(現京都教育大)卒。
『肺と腎臓』
独自の立体機で制作した、筒状あるいは袋状の立体造形作品です。
藁や竹を編む技法をヒントにして編み出された「立体織」という手法を用いて、
袋織に人体というモチーフを組み合わせた初期シリーズのうちの1点になります。
展覧会では、空間内に吊るして展示されます。
和菓子のコンセプト
糸状の練切りは荒い編み目を、折り重ねられた造形は[袋織]をイメージしています。
中心には粒餡と栗をあしらい、展示のテーマである[身体(しんたい)、装飾、ユーモラス]を表しました。
展示と販売
京都市京セラ美術館ミュージアムカフェ ENFUSE様、京都市京セラ美術館(京都市美術館)様にご協力いただきました。
京都市京セラ美術館 コレクションルーム夏期の展示期間中、ENFUSE様にてご提供させていただいております。
京都市京セラ美術館
[2022 秋期]コレクションルーム 特集「身体からだ、装飾、ユーモラス」
※観覧料等詳細は、美術館サイトにてご確認下さい。
https://kyotocity-kyocera.museum/exhibition/20220930-20221113
小名木陽一と作品についての私感
小名木陽一はファイバーワークにおいて日本を代表する作家です。
同志社大学法学部を卒業し、京都学芸大学(現京都教育大学)の特修美術科で絵画を学びました。
その後、龍村美術織物に5年ほどつとめ、作家活動を始められました。
ご本人のインタビューなどが公開されており、その活動の歴史はまるで必然であったかのように時代とリンクし、素晴らしい作品が生まれてゆきました。
絵を描いていた頃、京都国立博物館で開催されていた「中東の染織」展にて、偶然入り込んだ夕陽の光が織物の繊維を照らし、絵具にはできない立体的な発色に興味が湧きました。
その強烈な体験が織物会社に就職するきっかけになったそうです。
会社の資料室では当時日本では入手困難であった海外の出版物があり、アンデスの染色に心惹かれます。
また、ちょうどこの頃、タペストリービエンナーレが開催され、日本からも大きな企業が参加することになりました。
細い装飾を施した大きな作品=すごい技術力を示すことができるのですが、時間と人でがかかりますので龍村美術織物のような大きな会社に出展の打診がきていたそうです。
スイスのローザンヌで開かれたそのタペストリービエンナーレは、当初伝統的な技術力を誇る大掛かりな作品が多く見られたものの、異素材の組み合わせや
、立体作品、そして、途中からは現代アート的傾向が強くなり、ファイバーアートと通称される繊維を用いた立体芸術を発展させることとなりました。
その海外の動向を見た小名木は一人の作家としてビエンナーレに参加します。
大掛かりな作品は多人数で作るものという織物の常識を逆手にとり、折り目を目一杯荒くすることにより、一人でも短時間で大きい作品を生み出すことに成功します。
また、その大きく荒い編み目は、作品が繊維素材であること、そして、より一層の立体感を引き出し[織物であること]をより強調するような結果を生みます。
また、日本の伝統的な籠の作り方などを研究し、独自の機械を使って袋状に織物を制作しました。
作品の遍歴としては、
1,タペストリーのようなアンデスの織物に影響を受けた平面作品
2,綴織を筒状にした立体作品
3,作品自体が自立するような立体作品
4,異素材との組み合わせ重力にしたがうかのような作品
5,縫製することなく幾何学的な形態を織り上げる試み
と分類されるそうです。(アートスペース虹が発行した『Onagi: The Works of Yoichi Onagi』より)
まさに、海外のファイバーワークの流れと共鳴しながら作品を展開させています。
しかし、ただ流行の作品を作るということではなく、アンデス的色使いや古代の生活用具への興味をもち、
また、画家から織物作家に転身したこともあり、織物でしかできない表現を追求していった結果このような作品を生み出したといわれております。
コレクションルームでは近代の日本画をとりあげ、コラボさせていただくことが多かったのですが、今回は1960~以降の作品ということになりました。
研究書ではなく作家本人のインタビューが残っているというのは大変新鮮であると同時になかなかお菓子にするのは難しい部分もありました。
京都の作家さんですので、清水九兵衛氏の作品に影響を受けて、真似してみたけど全然だめだった、、というようなこともお話されており、同時代の彫刻や立体造形の挑戦などにも影響を受けられていたようです。
ファイバーワークという一連のムーブメントが生まれる背景には、美術的アプローチから織物に行き着くような作家と、織物業界から美術的業界に進む作家が入り乱れていたのでしょう。
コンセプト的な部分以外で物理的に誰もみたことがないものが作られ、それに世界が驚き、世界中の作家が共鳴していた熱狂的な時代を感じることができました。
*参考資料
[小名木陽一における工芸文化の受容と展開]吉田 雅子2021
小名木陽一インタヴュー https://shinobusakagami.com/art/art-04/705/