竹内栖鳳
京都市に生まれる。本名恒吉。幸野楳嶺に師事し、門下の四天王の一人に数えられる。
パリ万博視察に渡欧、その機に雅号を棲鳳から栖鳳に改める。
文展開設当初から活躍、大正期には帝室技芸員、帝国芸術院会員となり、二度中国に赴く。
西洋画を含め諸派を融合し京都画壇の近代化を牽引するとともに、自然、生命への視点、省筆の鮮やかさに独自の境地を拓いた。
京都市立絵画専門学校、画塾竹杖会で多数の俊英を育てた。第1回文化勲章受章。
『絵になる最初』
障子を背に立つ女性は、顔の前に手をかざして上気した表情を隠し、目をそらす。
足元には解いた帯、脱いだ着物を手放しきれないまま身体をおおう。
青、灰、黄土色の模様が渦巻いて見え、恥じらい、困惑する女性の心理状態を暗示するかのようである。
和菓子のコンセプト
女性の揺れ動くような心情を、2色の羊羹の間で浮遊するように固めた錦玉羹で表しています。
お味は上部が少し豆乳を加えた白餡の羊羹、下部分がENFUSEでもお出しされておられるコールドブリューの
オリジナルブレンドを使わせていただいております。
こちらはCoffee Wrightsさんの豆です。
コーヒーの世界でもサードウェーブなどいわれ近年変化が目まぐるしですが、農作物である以上毎年の味の変化があり
、焙煎や抽出方法も多岐にわたり、、そんな中でもビビッドに時代の最先端を走られているCoffee Wrightsさんのコーヒーを「羊羹
にしたら」どうか、、という挑戦をさせていただいております。
作品が描かれたのは1913年。
竹内栖鳳は1900年のパリ万博の視察などの影響からかヨーロッパの絵画に感銘をうけ、
臆することなく新しい挑戦を続けました。
帰国直後の作品は西洋をより感じるものが多いですが、十数年のちのこちらの作品では良いと思うものを信じて取り入れ
、挑戦を続けた結果(本人にとっては通過点だったのかもしれませんが)見る人の心を動かす作品が生まれたのではないかなと思います。
作品の画像はこちら
展示と販売
京都市京セラ美術館ミュージアムカフェ ENFUSE様、京都市京セラ美術館(京都市美術館)様にご協力いただきました。
京都市京セラ美術館 コレクションルーム秋期の展示期間中、ENFUSE様にてご提供させていただきましたいただいています。
京都市京セラ美術館
コレクションルーム 秋期
会期:2021年10月2日(土)~12月5日(日)
※《絵になる最初》展示期間:2021年10月2日(土)~10月31日(日)
※《絵になる最初》(下絵)展示期間:2021年11月2日(火)~12月5日(日)
※観覧料等詳細は、美術館サイトにてご確認下さい。
https://kyotocity-kyocera.museum
作品についての私感
こちらは、東本願寺からの依頼で天女を描くために、裸婦モデルをお願いした際に、
そのモデルさんが着物を脱がれる瞬間を捉えて描いたといわれています。
裸婦のモデルというものが日本にほとんどなかった時代ですので、モデルの方ももちろん初心者であり、
着物を手放すのを躊躇されています。
印象的な着物の図柄は絣(西陣絣の職人さんにお聞きしたのですが、
織った時にどんな模様にするかということを計算して先に糸を染めていく=きっちりとした模様という
よりも縦横に少しずれることでよい塩梅にボヤッとした模様が作られるそうです)で青、オレンジ、グレーが散らばり、
モダンな雰囲気を醸し出しております。
ちなみに京都市京セラ美術館のコレクションルームの前の看板もこの絣の模様をモチーフにされておりました。
今回、お菓子を作らせていただくことになり、いろいろ調べさせていただきましたところ、
「この後この絣の模様は人気を博し高島屋で販売された。」
という説と、
「絵を描く前に高島屋の新作コレクションの中からこの着物を持ってきた」
という説がありました。
もし、二つ目の説が正しいのなら、裸婦のモデルさんを読んだにかかわらず、着物を持っているところを
描いたというのは、「計画的」だったのでは?ということになります。
竹内栖鳳は高島屋でもデザインのお仕事をされていたそうなので、その関わりなどもあったのかも知れません。
また、この頃は絵画作品の公開は、一般市民の娯楽として成立していたそうで、新聞などに画家のインタビューや作品評が掲載されていたそうです。
つまりこの頃から、作品以外の情報が鑑賞者に知れ渡っていることが前提となっており、
「作品」そのものだけでなく、センセーショナルな事柄や作品が世の中に受けていたのではなだろうかと思います。
ちなみに、この絣も模様があまりに素敵だったので、「栖鳳絣」といわれ高島屋でヒット商品となったそうです。
それも計画的なのだとしたら、、、天才的な商才を持っておられたのかもしれません。(しかも、元々モデルを頼んでいるのは違う仕事のためですから、、)
流石、この時代を代表する画家であり、絵を描きながらも、デザイナーとしても働き、メディアを巻き込み、、
と精力的に活動されていたためか、研究されている本や論文もたくさんございました。
特にメディアを通じた観客とのコミュニケーションといった部分は現代美術界隈にも通じる部分もあるかと思います。
普段日本画をご覧になられない方も是非ご鑑賞いただけましたら幸いでございます。