木島桜谷
木島 桜谷(このしま おうこく、明治10年(1877年)3月6日 - 昭和13年(1938年)11月3日)は、
明治から昭和初期にかけて活動した四条派の日本画家。
本名は文治郎。字は文質。別号に龍池草堂主人、聾廬迂人。
四条派の伝統を受け継いだ技巧的な写生力と情趣ある画風で、「大正の呉春」「最後の四条派」と称された画家。
『寒月』
冬の夜、静けさに包まれた冬枯れの竹林を下弦の月が明るく照らす。
冴えわたる雪面には、ま ばらに生える竹や若木のシルエットが浮かび、凍てついた空気が流れる。
さまよう狐は餌を求 めて鋭い視線であたりを窺っている。孤独な生命が厳冬の静寂を深めている。
和菓子のコンセプト
全体の雰囲気は、「冴えわたる雪面」をイメージしております。
薄い水色を透かした白の地は全体の雪の雰囲気を。
数本の線で形作った半月は、ぼんやりと浮かぶ半月を。
上部分の窪みは、狐の足跡を。
重複した線とワンポイントのぼかしは、塗り重ねられた群青を表しております。
また、今回はお菓子本体の他に『木の芽』を添えております。
クリスタリゼという手法により砂糖をつけており、降り積もった雪のようなザクっとした食感をお楽しみいただけるかと思います。
*桜谷は、鞍馬に行った際に雪面に残る狐の足跡を見つけ、この作品を描いたそうです。
お菓子の上には狐はおりませんが、足跡一つから月の夜を歩く狐を創造する画家のイマジネーションの過程を感じていただけますでしょうか。
*作品では、全体に描かれている竹に群青を焦した物を段階的に塗り重ねる手法を用いて、グラデーションのような色合いを出しているそうです。
お菓子では、段々につけた線と深い青色を使ってそのような特殊な技法を表現しております。
*作品の出発点である鞍馬では【木の芽煮】といわれる佃煮が名物であり、鞍馬山椒(木の芽は山椒の若葉)の産地でもあります。
作品画像はこちら
展示と販売
京都市京セラ美術館ミュージアムカフェ ENFUSE様、京都市京セラ美術館(京都市美術館)様にご協力いただきました。
京都市京セラ美術館 コレクションルーム冬期の展示期間中、ENFUSE様にてご提供させていただいております。
京都市京セラ美術館
コレクションルーム 冬期
会期:2021年12月11日(土)~2021年3月26日(土)
※観覧料等詳細は、美術館サイトにてご確認下さい。
https://kyotocity-kyocera.museum
木島桜谷と作品についての私感
画家としての歩みは、16歳から京都きっての人気作家今尾景年に師事し、明治40年に始まった文部省美術展覧会(文展)
では6年連続で上位入賞を果たすなど華々しいもの。
大正元年京都市立美術工芸学校(現京都市立芸術大学)教授を委嘱、
文展が帝国美術院展覧会(帝展)として改組された後も、審査員を務め活動を続けました。
後年は審査員などの表舞台からは退き、自然豊かな場所に引越しをして、絵三昧の日々を送られたそうです。
2021年、京都は嵐山にある福田美術館で「木島櫻谷 究めて魅せた「おうこくさん」」という展覧会が行われるなど、
近代の京都画壇を代表する画家として注目されています。
関連プログラムとして桜谷の邸宅跡地である[櫻谷文庫]も特別公開もされておりました。
桜谷が後年を過ごしたこの邸宅は、京都の衣笠にあり、その後、沢山の画家が移住したことから[衣笠は芸術村]と呼ばれるに至ったそうです。
この頃は「祇園で石を投げれば画家に当たる」と言われるほどに画家という職業の景気がよかった時代。
桜谷も沢山の門下生を抱え衣笠の大きな邸宅に住んではいましたが、出かけてくるというと街中ではなく、
ボロボロの着物を来て周辺の自然物をスケッチしていたそうです。
お酒は全く飲まない代わりに甘い物はお好きだったそうで、ご自宅には菓子屋の通い箱(現在でいうところのリユースできる和菓子ケース。次回のお菓子納品時に
回収して再利用するもので、つまり毎回注文があるという証でもあります)も残っておりました。
敷地内には洋館もあり、客間のような使い方をされていたそうです。
洋風の建物なのですが、壁には桜谷自身が描いたと言われている蕨があったりと独特の美意識を持った方だったのだなと印象を受けました。
今回の『寒月』は大正一年の第6回文展2等賞第1席。(1等が出なかったため)
この時、審査員を務めていた横山大観の回想によると、同じく審査員であった桜谷の師である景年が『寒月』を第1席にしないと審査員をやめると抗議し、
その場で辞表を書いて提出したそう。
またその頃、新聞記者として展覧会の評を書いた夏目漱石は、この作品を酷評しています。曰く、「月が出ていて竹も夜の雰囲気なのに狐の瞳は昼間である。」
(狐の瞳は暗闇では丸くなり、明るい場所だと細くなる。作品では細く描かれている。)
私的には、動物の生態に詳しい記者がそのことに気がついたことを言いたいがために酷評したのでは、、と思ってしまいますが、実際のところなぜ狐の目が細かったのかについて、
桜谷が反論したものは残っていないそうです。
桜谷は鞍馬に旅行に行った際に、雪に残る足跡を見つけ、この作品の着想を得ました。
もちろん、実際に狐を見たわけではございませんので、「夜歩く狐」を想像して描きました。
桜谷は写生を大切にしていました。それは残された膨大な下絵が物語っています。
また、「木島櫻谷 究めて魅せた「おうこくさん」」には、桜谷の所有していた「動物園の年間パス」が展示されておりました。
私の想像では、狐を描くに当たって真面目に写実を求めた桜谷は、狐を写生するために動物園に出向き、
開館時間である日中の姿を見て作品に描いたのではと思っています。
ただ、多くの人が想像する狐が細い目であるなら、現実には丸い目であっても、細く描く方が「より写実的である」とも言える訳で、
この辺りも物議を醸し出した一因ではないかと思っています。
絵具に関して、一見、モノクロームに見える竹の色は、高価な群青を焦して濃淡をつけているそうです。
横山大観の『山路』の影響を受け、焦した絵具を使ったり、当時新たに開発された荒い粒子をもった人造岩絵具を使ったりと
新しい物も貪欲に取り込んでいます。
(『山路』も近年の研究でガラス粒子が検出されたことから人口的に作られた荒い絵具を使い、油絵のようなざらついた質感を出したそうです)
とにかく絵を描き、写生を大切にし、同時代の良い作品に影響を受け、海外からの技術や新しい技術にも挑戦し、自然を愛して和菓子も好きだった。
そんな、桜谷の転機となった作品『寒月』是非実物をご覧下さい。
合わせて和菓子もお楽しみいただけましたら幸いでございます。
*今回のお菓子の制作にあたりまして、[櫻谷文庫]の皆様に沢山のお話をお伺いいたしました。
*鞍馬の名物に関しては[渡辺木の芽煮本舗]様にご教授いただきました。